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自己流園芸ベランダ派で園芸のハードルが下がり興味が出る【感想】

最近、花だとか観葉植物だとかに興味が出始めています。

いままでも、常に「花のある生活」「植物とともに」というのには薄っすらとした憧れのようなものがありました。心がやすらぎそうだとか、生き物を育てる楽しみがあるような気がしていたからです。

いままで植物を育てたのは小学校時代のアサガオやヘチマ、ヒヤシンスくらいのもの。学校以外では、夏にスイカを食べたあと、親に内緒でこっそりと庭にタネを十数個飛ばし(蒔き)水をあげてたくらい。(そのスイカは芽が出てきたけど、親に雑草と間違えられむしり取られた。)

要は小学生以降植物を育てたことなんてないのです。
にも関わらず、植物に興味が薄っすらあり続ける日々。

これは一体どういうことなのか。
この理由を考えたときにたどりつくのは、「どうせ枯らしてしまうから」という恐怖でした。

いとうせいこうさんの本を読む

植物を育てるにはそれなりに大変なイメージがあります。毎日水をあげ、日光が当たる場所において、虫がつかないようにしたり、肥料あげたり、雑草抜いて、なんか切ったりもするらしい。これらのことは、私からすればとても面倒なことのように感じます。はじめはいいけど、その内やらなくなったりそうしているうちに枯らしてしまうのではないかと思うのです。

そんなときに読んだ本が、いとうせいこう著「自己流園芸ベランダ派」という本です。

この本は、著者であるいとうせいこうさんが自宅マンションのベランダで園芸を楽しむ様子を綴った1冊です。難しい専門用語もなく、分かりやすい文章で、おじさんの植物との生活が描かれています。

正直、薄っすらとしか植物に興味がない私としては、読む前はベランダで園芸をすることの是非について頭がいく始末。(マンションのベランダは共用部で物を置いてはいけないという規約になっていることが多い)

ですが、読み始めると文体が読みやすいこと、いとうせいこうさんのビジュアルが思い浮かぶこともあり楽しく読み進めることができます。唯一困ったのは、専門用語は出てこなくても知らない花や植物の名前がたくさん出てくるということでした。写真や挿絵もなく、特に説明もないので、知らない植物が出てくるとイメージが付きづらい。ですが、これもすぐに解決しました。知らない名前が出てきたらスマホに聞いてみるのです。スマホはしっかりと音声を認識し、画像を検索してきてくれる頼もしい読書のパートナーとなってくれました。花のイメージが付くとより楽しく本が読めるのでおすすめの読み方ですね。

枯らすことも園芸のうち

この本を読んで目からウロコだったのは、著者が植物を枯らしてしまうことも園芸の一部だと捉えていたことでした。

作中にその様子は幾度となく書かれており、「この人はよく枯らすなぁ」と園芸好きを疑うこともありました。しかし、どうやらこれは園芸好きの認識としてわりとポピュラーなようなのです。本は後半に、「いとうせいこうと柳生真吾」「いとうせいこうと伊藤比呂美」の2つの対談が収録されています。ここでも、枯らしてしまうことについての考えが書かれていますが、著者だけでなく対談相手の2人も同じような認識でした。

この考えは自分にはありませんでした。小学校の時に学校で育てたアサガオは枯らしてはいけないものでした。枯らしたら観察日記が書けなくなってしまう。

いままでの考え方とは違う考え方があるということはちょっとした衝撃でした。

本を読んでいるとけっこうラフに園芸を楽しんでいる様子がうかがえ、こんな考え方でもいいんだなと園芸へのハードルが一気に下がった気がしました。

この本との出会いと反省

この本との出会いは下の記事からでした。
いとうせいこうの『自己流園芸ベランダ派』を植物に興味がない人にこそオススメしたい【書評】

このタイトルのオススメの仕方。自分にピンポイントだったわけです。というわけで下のツイートをしたのでした。

でもね、このとき本当は柳生真吾さんのところ、柳沢慎吾って読み間違えていたんです。植物にあまり興味がない人間にとっては、いとうせいこうさんと柳沢慎吾さんの対談のほうが面白そうに感じちゃうじゃないですか。ツイートのときはコピペしたので間違えていませんでしたが、このときからずっと柳沢慎吾さんだと思っていたわけです。ごめんなさい。(パッと見た感じ似てるからしょうがない。)

ちなみにこの間違いに気がついたのは本を読み始めてからでした。

そんなこんなで、植物を育てることへ多少の自信が出てきましたし、植物への興味も前よりかは湧いてきました。あとは1歩を踏み出すだけ。でもこれがパワーいるんですよね。もう、誰かに「この植物にしなさい!」って指定されない限りどれを買うかで迷ってスタートきれなさそう。

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